ウタについて
アジアでは宇宙を活性化する力を「気」といい、ギリシャのプネウマ、インドのブラーマにも共通するような霊力を想定している。日本の芸術表現では気の表現を最優先に考えてきた。気はマクロコスモスとしての自然界では風となって現われ、ミクロコスモスとしての身体では息となって現われる。これらを現わす言葉に「気象」「気迫」など「気」が付く語が多い。声は息を音に変換したもので、アニミズム的な力が秘められていると考えられてきた。
日本では言葉には特別の重要な意義がある。あたかも古代エジプト人が「死者の書」を書くことによって願いが実現されると信じていたように、古代の日本人は言葉を声にして発声することによって言葉の霊力が験れるものと信じていた。今でも日本には言霊(ことだま)という考えが残っている。
日本のウタはこうして始まった。
日本語は独自の言葉造を持った言葉で、数千年の昔から続いてきた言葉である。日本の最も古い文学の古事記や万葉集は7世紀に文字で記録されたものであるが、それ以前の長い年月はウタでうたい継がれてきたものであった。
日本語の声の構造が日本のウタの音楽構造の基礎になっている。声の構造が独自であるようにウタの構造も独自である。例えばその声はヨーロッパ音楽の楽音のように音高と音価とで整理されたものではなく、それ以外の音要素‐音色や音勢や音量や音質なども有機的に関連しあって、全体的な音の姿を形づくっている。
楽器=琵琶について
琵琶は世界で最も広く分布しているリュート属の絃楽器の極東のローカルカラーである。日本へは7世紀以降のアジア大陸との接触によって数次にわたり数種類の琵琶が伝えられた。日本の奈良に現代の残る正倉院という8世紀の皇室関係の宝物を蔵っている倉には、唐から伝来した多くの楽器の中に、美しく装飾された琵琶のオリジナルな遺品が伝来している。
古代アジアでは、楽器に形而上学的(メタフィジカル)な意味を持たせることが行なわれていた。琵琶は、アジアの仏教、ヒンドゥー教の思考による宇宙の中心にそびえ立つ山、須弥山にたとえられてきた。琵琶の表板の二つの共鳴穴は、宇宙をコントロールする太陽と月を表わしている。そして、琵琶の音は宇宙の音を反映していると想像されてきた。
琵琶は基本的に四絃の発絃楽器であり、単音や分散和音(アルペジオ)を奏して、拍子は明確であるが、旋律は表面には表われてこない。打楽器的な性格が強く、実際の演奏では何かの旋律に寄りそいながら、時間を分析する役割を果たす。
現在も伝承が続いている世界最古のオーケストラである雅楽の合奏の中で、琵琶はリズム楽器として、演奏のテンポを指導する楽器として登場する。そして、琵琶はかつては天子の楽器であった。御遊という宮廷の儀式の中で行なわれた演奏では、四季によって演奏する曲の調性(モード)が把められていたが、これはあたかもギリシャのハルモニュウムのように、天の音が四季によって変わると信じていたからであって、その演奏の中で、天子(天の子孫)は琵琶を奏でて、音で天と交流したのである。
薩摩琵琶について
琵琶は日本に定着する過程で、日本語のウタと結び付いた。琵琶という楽器は極めて国際性が強い抽象化された楽器であり、ウタという声楽は最も土着性の強い具象的な音楽である。この二つが結び付くことによって、ウタは理論的に整備され、琵琶は楽器の構造や調絃や奏法などが日本化されていった。
平曲はその最も早い例(14世紀)で平家という一族の盛衰を物語る長い叙事詩を琵琶を伴奏にうたうものである。琵琶法師(僧侶の姿で琵琶を持つ者)によって、ヨーロッパの吟遊詩人のように日本全国に広がった。盲人の記憶力と音感の良さによる伝承で、この伝統は現在も続いている。
薩摩琵琶は、薩摩盲僧琵琶(盲僧によって宗教的儀式の中で使用された)、平曲その他の先行する琵琶ウタを母胎として、16世紀頃から始められた武士のたしなみとしての音楽で、日本の南端の薩摩藩で行なわれていたから、この名で呼ばれた。薩摩藩主島津忠良により武士の間に奨励され、楽器も力強い音のでるように改良された。日本の中でもローカルな音楽が日本全国で行なわれるようになったのは19世紀末から20世紀初頭にかけてのことで、明治以降、薩摩琵琶として全国で知られるようになった。第二次世界大戦後は一時衰退したが、鶴田錦史が作曲家武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」(オーケストラと、薩摩琵琶、尺八のための作品)などを演奏して世界の注目を集め、世界的に知られるに至った。
上田純子は鶴田錦史の最も重要な弟子のひとりで、東京音楽大学では作曲を学んでいる。師から伝承した古典曲の他に、自らも作曲を手がけ、日本の伝統と世界の現代の接点で独自の音楽を創造し、日本、ヨーロッパ、アメリカ、アジアの各地で活発な音楽活動を展開している。
(木戸敏郎:著)

