声明
世界各地でその昔より、音楽と儀式はいつも深い関係にありました。声明は仏教儀式の中で唱えられる声楽であり、仏教音楽の大部分を占めます。その起源はインドにあり、やがてチベット、中国、韓国を経て日本に伝来し、今日まで途絶えることなく受け継がれてきた伝統音楽です。

752年4月8日の東大寺大仏開眼供養の際、声明が行われたことが記録に残っています。日本では、それぞれの仏教宗派により声明のスタイルが違いますが、その中でも美しいメロディーを持つと言われている天台宗の天台声明と真言宗の真言声明が有名で、その歴史は1200年前に遡ります。量的にも質的にも声楽が圧倒的に多い日本の伝統音楽の形成の過程において、声楽である声明の影響が非常に大きいことはよく知られています。それと同時に、声明と世界中の古代から伝わる多くの歌との関係がよく語られます。
アジアの声明のサンプル
日本の声明楽曲は、一息で唱えられる最小単位の旋律型の組み合わせによって構成されています。これらの旋律型は、洗練されたシンプルな様相をもち、それ自身がすでに音楽的に完結された形態をもっています。ポルタメントはその旋律型を形どる大切な要素のひとつといえるでしょう。そして、ここでは時間が空間としてイメージされ、繰り返される旋律型が随時空間の中に積み重ねられ、独特な音空間を作り上げて行きます。この旋律型には、何かを象徴しようとか、感覚的情感を表現しようという意図はありません。その意味で声明は絶対音楽的であるといえるでしょう。修練した僧侶たちによって声明が唱えられる時には、彼らの信仰心が音を媒介として表現されるでしょう。
- shomyo score
- Buddhist ceremony with shomyo chant
- Buddhist ceremony with shomyo chant
- Buddhist ceremony with shomyo chant
古代の声を現代に生かす
Sample from the CD 'Meditative Flowers' by Junko Ueda

「私が初めて声明に出会ったのは、80年代前半になる。初めて声明を聴いた時の印象は、音を耳を通して聴くというより、音のかたまりを、どっと自分の身体全体で受けとめているようなセンセーションで、自分の身体が声明の音と共鳴りしているようであった。まさに声明の虜になった私は、天台宗の僧侶で優れた声明家でもある、海老原広伸師の門を叩いた。
海老原先生の指導の中で、常にその根底を支えていたお言葉があった。それは、声明梵唄は一個の勝れた仏教芸術作品であるよりも前に、それは敬虔な仏教者の営みであり宗教的表現である、という教えであった。 日課として唱え続けて多くの年が経過していった。 唱えれば唱えるほどその奥深さを発見し、その奥にあるものは何かを探りながら、また唱えてみる。そして先生のお言葉を考えながら、声明を唱えることの意義は何であるのかという問いにぶつかり、また唱えてみる。
そんな手探りの中で、ふと気づいたことのひとつは、私たちを生かしているものは「息をする」ということであること。食べなくてもある程度生きられるけれど、息をしないと絶対に生きられないという、とても単純なことであった。ゆっくりとしたメリスマで唱えられる声明は、普段何気なくしている呼吸を、思い切り拡張してコントロールしなくてはならない。この行いは、正に人間存在の根本を見つめる宗教的な動作でもあるように思える。息をすることは、すなわち生きること。息をしている瞬間瞬間を楽しむことは、すなわち人生を楽しむこと。声明からの偉大なメッセージであるように思われる。
そして今、はじめて声明を聴いた時に自分の身体が受けとめた感動は何であったかを考える。それは、息の迫力であったような気がする。美しいメロディーとか音楽的な超絶技巧ではなく、息が作り出した音の迫力に身体が共鳴りした感動であったような気がする。私が聴いていたのは、「息」であり、「意気」であり、「生き」であったのかもしれない。そう思ってもう一度声明を唱えてみると、何だかとてもありがたく嬉しい気持ちになってくる。
そして今、声明の声を仏教寺院から外の環境に連れ出してみたいと思う。私自身が声明を唱え続けて体験し、その「息」から読み取ってきたことを、声明の声を媒介として私なりに表現してみたいと思う。そして、日本文化の中で育まれてきた「息」の表現を通して、人類が共有する普遍的な感性の世界へアプローチしてみたいと思う。
声明の世界はさらに奥深く、私などまだまだ未熟で、大海に向かってようやく浜辺を漕ぎ出したところである。大海を自在に航海できるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。それでも、この仏教音楽である声明の息の迫力は、人の心を平和なひとときで満たすことができると信じて、今日もまた声明を唱えようと思う。」
上田純子
上田純子による天台声明のレパートリー
- 四智梵語讃
- 四智漢語讃
- 散華(顕教用)乙様
- 散華(密教用)甲様
- 対揚
- 供養文
- 唱礼
- 九方便
- 五大願
- 大讃
- 仏讃
- 百字讃
- 百八讃
- 諸天漢語讃
- 三礼
- 如来唄
- 揚勧請
- 六種回向
- 五念門(十二礼)
- 三句念仏
- 九條錫杖
- 六道講式